本 名/南川保則[作詞・作曲名使用]〔※南川加門は同一人物〕
出身地/北海道紋別郡湧別町
    ここは出生地であり、歌の活動と共に跡を継いだ製麺工場と、自ら起業した製塩業の代表を担う。
1954(昭和29)年/北海道紋別郡湧別町にて、冷菓製造と劇場「湧楽座」を営む事業主の長男として生まれる。
1973(昭和48)年/唯一合格通知の来た専修大学法学部進学のため上京。
しかし胸中には当時人気の”藤山寛美”に魅せられ、喜劇役者になる夢を抱いていた。
1975(昭和50)年/故・俳優小沢昭一主宰劇団「芸能座」第四期研究生となり、俳優修業を始める。
大西信行作・早野寿郎演出「落語無類語録」で初舞台。後楽園球場開催「矢野大サーカス」ピエロ軍団の一員として2ヶ月間公演に参加。その後、紅白歌合戦出場を目指し、シンガーソングライターへと転向。
1983(昭和58)年/第三回浅草アマチュア音楽祭にてグランプリ受賞。
第一回二回の受賞者はすでにプロとして活躍しており、自分の将来も約束されたと確信するも、その定石は崩れ、深い失意の中に帰郷。家業に入るも襲い来る寂寥に打ち拉がれ、唯一東京に残した彼女の訪れを待つも計わず、更に深い絶望の淵へと落ち込む。
1989(平成元)年/父、心筋梗塞によて急遽。にわか代表となり一転社業に励む。
しかしバブル経済の成長と崩壊の中、絶頂に続く深く辛酸の海を長く泳ぎ、再び歌作りを始める。
2000(平成12)年/「オホーツクの塩」製造開始。
2003(平成15)年/アルバム「娯楽の殿堂湧楽座」(全11曲)自主制作。
2006(平成18)年/劇場「湧楽座」を再興し(5年後に閉座)、舞台に乗せるために、落語・講談の術を身に付け、やがて歌と共に全道を公演し現在に至る。(特に各市町村生涯学習講演への出演多数)
2013(平成25)年/作詞家門谷憲二氏と出会い、”オホーツク太郎”の芸名を授かる。
翌2014年還暦を迎えると共に、数々の珍事象に見舞われ、この芸名にて、再出発を計る。
2016(平成28)年/8月メロディーレコーズより「ほっちゃれ節/面影エレジー」にてCD全国発売に至る。