ご無沙汰しておりました! 2018年2月10日

私の敬愛していたアーティストのAさんは、長い間旅先での出来事をブログに書いていて、私はその記事を読む事をとても楽しみにしておりました。

ところがある日を境に、プッツリと更新が途絶えてしまいました。

どうした事かとご本人に直接伺うと「そんな個人的な心情を綴る事が、一言で言えば“おこがましい!”と気付いたからです」と答えました。

ア然・・・。しかしまァ敬愛する方がそう言うのであれば、そういう事なのだろうと納得し、私も“おこがましい”の一言におじけづいてブログを書くことを止めてしまいました。

その後その方が始められたSNSの画面を見てびっくり。それまでのブログとほぼ同じ内容が長々と綴られていたのです。

「ウーン・・・・」

実は私もAさんを真似てSNSを始めてみたんですが・・・・。

色々と考えた末、私は私の裁量で再びこのブログを始める事にしたのです。実に一年以上の時間が経っていました。

そして今この記事を書き始めて、何だかここが自分にとっては一番居ごこちがいい場所だと、再認識しているところです。

例え私のHPを訪ね、読んでくれる方があろうと無かろうと日々の様々な雑感をおこがましくも吐露し、そして自分を確認し、反省し、前進してゆきたいと思っております。

 

そんな訳で久しぶりの通信です

1昨年私はCDを全国販売し、それを機に色々な人に会い様々な場を訪れ、歌う機会を戴きました。

それでこの歌謡・演歌の世界の全部を知ったなどと申し上げるつもりは少しもありませんが、まァ、何となくおおよそを知ったつもりでおります。

何より歌の世界は、歌が売れるという事が全てに勝る訳でそのために有名無名問わず、全国津々浦々の歌手たちがあの手この手を駆使し、知巳をたより、すがり願い、何とか少しでも上に上に、そして売れてついにはNHK紅白歌合戦の晴れの舞台に・・・・誰もが口にこそ出さずともそう思っている事かと思います。

まァ少なくとも自分がそうでありましたし、知り合って膝を割って話してみると、皆さんそうでしたね。まァ中には毎日どこかで歌っていられる事が嬉しい有難い事ですとおっしゃる方もおりましたが・・・。

今、歌謡曲・演歌の世界に大きなヒット曲は残念ながらありませんね。

あの大ヒットを飛ばした作曲家・作詞家の先生からも、歌手からも心浸みる歌が流れ出て来る事はありません。(自分が知らないだけかも知れませんが・・・)

どうしてなのでしょう・・・・。色々と分析して解説する方や本が出版されて読んでみたりしますが、納得するには足るものではありません。要するに誰にも解らないのです。

でも歌は毎日の様にこの世に生まれ送り出されている。

 

20年振りの紅白だった・・・・

昨年末、本当に久しぶりにほぼ20年振りにNHK紅白歌合戦を最初から終わりまで観ました。

今は、一体どんな内容でどんな風な歌が流れて、そして最後に自分がどんな印象を持つのか・・・・それを確かめたかったのです。

そして観終わっての感想は、とても良かった!とても良くまとまっていた。そして楽しくもあった、なのです。

世間で言う “ 紅白はひどい内容だ ” や “ だから私は観た事が無い!” という様なものではありませんでした。

客観的に言えば 新しい世代の若い歌手たちが多くを占め、その中に演歌系の古い歌手が点在し、昭和の応年の名曲を歌うというものでそれはそれで仕方なくもあり、安心でもあり、そして哀しみでもありました。

特に哀しみとして印象深かったのは “ 島津亜矢 ” という当代きっての歌上手が、何と紅白の晴れ舞台で自分の持ち歌を歌わず、何かのスタンダードナンバーを歌った事に、その全てが象徴されていた気がします。

構成上のことだろう、仕方のない事だろうが、しかし自分の持ち歌がありながら、それを晴れ舞台で歌えずに人の歌を歌う、歌わされる、一体どんな思いだろうか・・・・。

紅白に出場出来ただけでも良かったと言う事なのだろうか・・・。

もう一人の演歌歌手は美空ひばりのヒット曲を歌っていたね。歌わされていたのか・・・・。で二年連続の紅白出場ですと、喜んでいたけれども・・・。

それが現実。

しかし、では若手はどうかというと、いやいやどうして皆力一杯、精一杯舞台を務めていたし、好感も持てたし、流石に話題になり人気があるのも判ると言うものだ。

その中の一人(一組)で、欅坂46の「不協和音」という力のこもった歌を聴いて私は正直感動しました。

今の若者の心情を代弁している歌詞が歌声が、この私にも十分伝わって来た一曲でした。

そして全てが終わり除夜の鐘の音を聞きながら思いました。

「すっかり様変わりしているなァ~。」そしてもうどこにも万が一にも「私などが入り込む隙間はもう無いなァ・・・・。」

あるとしたら何かのキッカケで余程の話題にでも、ニュースにでもならない限りありえない事だと思い知りました。それは宝くじに当たるより難しい。そしてそれはどんな歌手にもにもあてはまる現実だと思います。

終わったなァ・・・。納得しました。

又、昨年中は個人的にも色々な人との、何の前触れかたくさんの別れがありました。

そんな事も重なりこの年の瀬は “ 別れ ”が主役となって過ぎてゆきました。

じゃ、歌を作るもの唄うのも止めるのか・・・・。

歌を唄うとは私が自分らしく生きてる証なのです。

そして落語を演り講談を語り、自作の歌を歌う・・・・それが自分なのだと改めて思い至り、またそんな私の舞台を待って下さる方もまだいらっしゃる。

待っていて下さる方がわずかでも居らっしゃるなら、今度はその方々のためにそこへ向かい、今を語り歌い“笑いと涙のステージ”を共有させていただこうと思いました。

どこまで、いつまで出来るものかは解りませんが、それをこれからはライフワークとして、自分のため、そして誰かのために元気に前進してゆこうと思い至りました。

そうなればさァ、具体的に行動する事だけです。

オホーツク太郎、今年は又新たな出発の一年といたします。

どうぞ皆々様宜しくお引立ての程を、お願いいたします。

 

※NEW CDを出すための準備を始めました。(6月発売予定)

加えて6月16日(土)札幌市渡辺淳一文学館ホール、8月31日(金)東京都大田区民ホールアプリコ小ホールにて “ オホーツク太郎ひとり一座公演 ” を開催いたします。他、継続しております生涯学習公演他も精力的にLiveして参ります。

詳しくは改めてブログで発表いたします。さァ!今年も出発だー!

“ 人生の本舞台は、常に将来にあり ”   尾崎行雄(政治家)~