寂しいなァ北海道  2009年1月30日公開

もう何年、稚内へ通っているのだろう。 10年を少し越えた位か・・・。
年に一度、正月真冬に得意先を回る事にしているのだが、
私はこの稚内という街を訪ねる事を実は楽しみにしている。
そこにえもいわれぬ、深い旅情を感じるからです。
港町独特のものであり、異国の空気が色濃く漂う所なのだ。

ロシア、サハリンといった臭いのたくさんする街”稚内”・・・
戦前日本は、サハリン(当時は樺太と言った)の半分を
自国の領土とし、そこに大いなる経済・文化を築いた。
その繁栄を稚内を通じ国内へともたらしてきた北限の
樺太にはたくさんの日本人が住み、頻繁に往来していたのだ。

その中継地として大いに発展した街、稚内。

その街中に散在する古い建物に、当時の栄華の跡を見つけるのだ。

その昔

私の祖母は、夫婦ゲンカの果てに、どういう訳か幾度も樺太(サハリン)へと逃避行し、
家の者たちがその都度現地まで迎えに行ったという。
祖母は勿論の事、後を追って向かった家の者や、
あるいは祖父も、当時の固い列車に揺られてひたすら北上し、まずはこの稚内港近くで一泊。

翌朝連絡船で樺太へと向かったのだと思えば
”ひょっとしてこの道をあそこを、家の者が歩いたのか・・・”と
旅情は余計に高まる。
だから私は訪れた夜、街なかの酒場を訪ねて、古い店主たちから昔話を聞き、
暖まった体で街中の古い建物を見ながら散策する。
それがとても楽しみなのです。

事情を知らない人から見れば、ちょっとアブナイ人と思われても仕方のない事・・・
だって夜中の一時過ぎまで雪の舞う中を、冷たい浜風に吹かれながら
フラフラと歩き回るのですから。
事実客待ちのタクシーの運転手が何度も近づいて来るが、
乗らずに、挙句あちこちの建物の角から出没するものだから、不審に思うのも当たり前。
そうやって私は遠い時代へとタイムスリップしてゆく・・・曰く、楽しい。

その稚内も ・・・

ご他分にもれず、すっかりとこの強い不景気風に吹かれていた。街に活気は無い・・・
ぶらりと入ったスナックのママさんが言った。

「こんな1月は私何年も店やってるけど、初めてだワ~。
あっちこっち店閉めてるでしょ~~どうすんだべねェ~」
11時過ぎに入った私が、
どうもその日最初のお客の様な気がした・・
そしてママは言った
私の泊まっている”全日空ホテル”も
事実上市のほうで引き取った形で、
当の全日空は経営難から昨年末に引き上げたのだと言う。

何という事だろう・・・ そういえばその日の宿泊客も数える程(駐車の台数から)だったものなァ・・。
これじゃァ・・・。

翌朝、朝刊を見て

丸井今井が、”会社更生法適用に・・・”のトップ記事が目に飛び込んだ。
つい二週間程前、札幌で訪れた丸井今井デパート。
その最上階の”加賀老舗展”には人がいっぱいだったが、
階下のどのフロアーにも客の姿を探すのが難しい程だった。 ついにこうなったのかァ・・・

昼過ぎ稚内を後にして、一路オホーツク街道を車で南下する。
宗谷岬、猿払、浜頓別、枝幸、雄武、興部、紋別と、
行った道を戻りつつ、我が町湧別へとたどり着いた。
通り過ぎて来た街々は、一様に何だか皆寂しげだった・・・
そう、こんな時もあるのさ・・・
北海道は今までも、色んな時代を越えてここまで来たんだ!
がんばりましょう。晴れの日は必ず来る。

それまであんた、生き残れるかァ・・・? 神のみぞ知る・・・
己を信じ、ひたすらに前進──!
それにしても、哀しいぞ 北海道・・・ ウゥ・・・。

追伸

帰ったら”森山大道”写真集、新刊”北海道”が届いていて結構何だか浸みたわなァ~